宇宙時代のシンボル、95歳で天国へ
20世紀に宇宙飛行士として活躍したアメリカ人のジョン・グレン氏が
12月8日に95歳でお亡くなりになられました。
ギネスワールドレコーズは彼の生前の勇気と宇宙への情熱に
最大の敬意を捧げ、謹んで哀悼の意を表します。
グレン氏は亡くなる直前までオハイオ州立大学のHamesがんセンターに
入院しており、オハイオ州知事によって亡くなったことが報告されました。
グレン氏は生前、アメリカ国民のみならず、多くの人にとって、「宇宙時代のシンボル」として扱われてきました。
初めての任務は1962年に飛行した有人宇宙船「フレンドシップ7」(=マーキュリー6号)への乗船で、
アメリカ人として初めて地球の軌道をまわることを成し遂げたのです。
しかもその時に、4時間以上にわたり地球を3周したことから、
全米のヒーローとして各方面から賞賛を受けることになります。
米海軍大尉やオハイオ州の上院議員へも !
その後、彼が地球へと帰還すると、大々的な祝福パレードが催され、メディアは華々しく取り上げ、国民には、これ以上ないほど暖かく迎えられることになります。
そしてさらに、ホワイトハウスからの招待状を受け取り、
ジョンF・ケネディ大統領との会談まで実現しているのです。
また、グレン氏はNASA宇宙飛行士のキャリアだけでなく、
米海軍大尉やオハイオ州の上院議員としても活躍するなど、
生涯にわたって誇りを持ってアメリカという国のために奉仕してきたのです。
77歳103日、再び宇宙へと飛ぶ
グレン氏は上院議員として政治活動を行っている間も、宇宙への野望を決して絶やさなかったといいます。
その甲斐あって、1998年に彼はスペースシャトル・ディスカバリー号(STS-95)の
乗船員のひとりとして36年ぶりに宇宙に飛び立ち、
正式に
最高齢の宇宙飛行士|Oldest astronaut 」
として認定されました。77歳103日でした。
飛行中は辛抱強さが要求されましたが、
高齢にもかかわらずグレン氏は宇宙でも普段通りに過ごし、
無重力状態で11日間過ごしたあと、無事地球に帰還しました。
亡くなる前には、「大統領自由勲章」「議会名誉黄金勲章」など、
最高位の賞を受賞したほか、彼のこれまでの名誉を称えて、
NASAの研究センターの名称が「ジョン・H・グレン研究センター」に改名されています。
生涯にわたって未知なるものを探求し続け、勇気をもって宇宙飛行に果敢に挑戦したヒーローとして、
ジョン・H・グレン・ジュニアは私たちの心に永遠に記憶されることでしょう。
下のビデオでは、現在のNASA長官のチャールズ・ボールデンが宇宙飛行士として
パイオニア的存在だったグレン氏との思い出を語っています。