ウィングスーツで空を飛ぶ、カイル・ロブプリエ

ギネスワールドレコーズでは、過去の驚くべき記録の中から、人々に勇気を与えてくれるようなストーリーをよりすぐってお届けしております。本エントリーでは、ウィングスーツでの飛行に全てをかけた元海軍パイロットのお話をお届けしましょう。


「ウィングスーツで飛ぶことを夢見るようになったのは、子供の時のテレビがきっかけでした。そして空を飛ぶ夢をみながら、よく飛ぶようにと小さな羽根やカギ爪をつけた鳥のコスチュームを、画用紙で作ったりしていました。」


お医者さん、宇宙飛行士、先生などに憧れる普通の子供たちとは違って、カイル・ロブプリエの夢はいつも空を飛ぶことでした。 映画のスタントや無鉄砲なテレビ番組で目にした人もいるかもしれませんが、ウィングスーツフライングはスポーツの中ではまだまだ新種と言えるでしょう。身体の四枝をつなぐような特殊なデザインが施されたスーツで空中を滑空します。その姿はまるで「ムササビ」のような見た目です。パラシュートを使って地上に降り立つまで、好きなように空を飛ぶことができるのです。 


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カイル・ロブプリエは、いつかウィングスーツで飛ぶ夢を心に秘めながら成長しました。 そして彼が大学生になった時、住んでいたテキサス州カレッジタウンで初めて友達とスカイダイビングに挑戦したときも、その考えが原動力となりました。

 初めてのフリーフォール体験は、彼を病みつきにさせるものだったようです。 テキサスA&M大学卒業後、アメリカ海兵隊の門を叩いたカイルは、まずは海軍飛行士に、そして後に攻撃ヘリコプターのパイロットとなります。


先立つものの無かった学生時代は、更に夢を追うには制約がありました。しかし「海兵隊では安定的な収入と住み家を得て、再び夢に向かって動きはじめたのです。そして2010年7月、スカイダイバーのライセンスを取得しました。」(カイル・ロブプリエ)

スピードと興奮の虜になった彼は、一度飛ぶと、すぐにまた空中に戻りたくなるような衝動に駆られます。それから2年7ヶ月の歳月があっという間に過ぎ去り、カイルは200回目の節目のジャンプを迎えました。

201回目は、ウイングスーツジャンプに挑戦しようと心に誓っていた彼は、それに備えるためコーチとしてタヤ・ウエィス氏の指導を仰ぎます。

「ウイングスーツを着用したジャンプは、まさに想像通りのものでした。飛行機から飛び出して滑空し、風を顔に受け、両腕の羽を仲間と共に大きく広げ、眼下では地面が過ぎ去っていくのです。それは、まさに私が想像していた、人間が飛ぶという感覚そのものです。夢中になりました。私は鷹であり、スーパーマンであり、戦闘機になったようでした。言葉に出来ないほど荘厳な体験です。私はいつも様々なことに興味を抱いてきました。芸術、料理、コンピューター、スポーツ、アウトドア、そして数えられないほどの冒険。でも、最終的に私の心を掴んだのはウィングスーツです。燃え上がる情熱は、過去にないほどの執着を生み、最高の技術を身に着けることを望むようになりました。」(カイル・ロブプリエ)


それを叶えるため、カイルはスカイダイブ・エルシノア・ウィングスーツ・スクールを始め、様々なスポーツ専門家の話に耳を傾け、勉強するようになりました。

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そして、初フライトからわずか数ヶ月後には、USウィングスーツ・パフォーマンスカップに挑戦します。

「練習と経験を積んだ後、私は身体のちょっとしたポジション変化で滑空の角度やスピードをコントロールする術を学びました。そして、飛行中に姿勢を保ち、気圧・追い風、向かい風、体力の消耗などの変化を感じ取るために必要な心技体についての理解を深めました。」(カイル・ロブプリエ)

ウィングスーツフライトの魅力と憧れ、そして世界記録



彼には憧れがあります。例えばコロンビアのジョナサン・フローレス。ウィングスーツフライトの滞空時間記録(Longest duration wingsuit flight )や、カイルもいつか挑戦を考えている最長水平飛行距離記録(Greatest horizontal distance flown in a wingsuit )の保持者です。

残念なことに、フローレスは2015年、ウィングスーツフライト中にスイス・ティトリスの山壁に衝突しこの世を去りました。最も開放感を得られるスポーツであると同時に、多大な危険をはらんだスポーツでもあることの証左と言えるでしょう。カイル自身も、2014年のジャンプ失敗でその危険性を身をもって知りました。


「パラシュートでのランディングに失敗した時、右足の舟状骨(しゅうじょうこつ)は粉々に砕け、左の尾てい骨も骨折しました。」「怪我の治療には足を2箇所手術する必要があり、術後一ヶ月に渡っての車椅子と、更に二ヶ月の松葉杖生活を余儀なくされました。医者からは怪我の影響は一生続くだろうと宣告され、いまのところその通りです。」

「それから約2年が過ぎましたが、やはり走ったり、飛んだりするのは困難を伴います。痛みがある為、長距離の歩行には右のくる節を固定する特殊な支えが必要です。私は自分の起こした行動によるこれらの状態を受け入れることにしました。そして、大好きなスポーツを継続するために、リハビリを続け、最大限の努力をしようと決めたのです。」(カイル・ロブプリエ)


カイルは徐々に、歩くよりも飛ぶ方が上手になっていることに気づきます。人間に備わった驚くべき順応性と言えるかもしれません。今では飛ぶ度に、何が問題なのかが完全に理解できるようになりました。でもそれだけで満足することはありません。


ウィングスーツフライングの更なる高みを目指した彼は、フローレスの挑戦の記事を読んで、ギネス世界記録「ウィングスーツでの最長水平飛行距離|Greatest horizontal distance flown in a wingsuit」を目指すことを決めました。適切な装備選びから、数カ月に及ぶ高強度のジャンプトレーニングまで、カイルは全精力を新記録達成に傾けます。

そして、カイル・ロブプリエの挑戦は、2016年5月30日敢行されることとなったのです。夜明けの数時間前、カイルと、彼を見守る仲間・パイロット・熟練者などが準備の為にドロップゾーンに集結しました。

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飛行機に乗り込む前に、呼吸を整え、装備のチェックを行います。


いざ飛行機に搭乗すると、カイルは孤独を感じました。彼が立ち向かおうとしている偉業は、体力的な挑戦であるだけでなく、精神的な挑戦でもあります。彼が成功することで、ウィングスーツフライングという新興スポーツに、また新たな一歩が刻まれることになります。


しかし、飛行機から飛び降りたとき、呼吸器具に深刻な問題が発生しました。

新鮮な空気の取り込みが出来なくなり、自分の吐いた息を再び吸わなければならない状態に陥ったのです。ちょっとしたパニック状態でしたが飛行は続行しました。強く息を吐いて圧をかけてみますが、バルブは一向に作動してくれません。素早く強く吹いて氷を飛ばそうともしましたが、だめでした。(カイル・ロブプリエ)

絶望的な状況です。


「もし同じ空気を吸い続ければ、筋肉の動きが鈍り、最終的には意識が飛んでしまうことはわかっていました。」


カイルに残された手段は、マスクを取って、ベンチレーションの回復をはかることでした。しかしそのためには、飛行をコントロールするのに必要な手足を使わなければなりません。5分もしない内に、循環を繰り返す酸素は健康に害を及ぼし始めるでしょう。そうなれば、挑戦を中止するか、高度を下げて呼吸困難な状態を解消するしかありません。
フリーフォール中にカイルは高度を下げる決断をします。


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素早く手足を身体に寄せると、表面積が減って高度が下がり、マスクの調整が可能となりました。また、顔面である一定の動きをすれば、同じ問題の再発を防げることがわかりました。

「頭、肩から足の爪先まで、最大限の滑空ポジションが取れているかを常に注意し、修正しました。」
「眼下の地球が過ぎ去るのを眺めながら、この作業を繰り返すことで、肩、ふくらはぎ、コアの強烈な乳酸に対応しました。」


 不安定なスタートを乗り切った後は、残りのフライトを楽しむ余裕さえ生まれ、水平飛行距離30.406km(18.89マイル)というギネス世界新記録達成に成功しました。

「この記録への挑戦を行ったのは、このようなフライトの形を残すことで、私が情熱を傾けているスポーツの振興に役立つと考えたからです。私が誇りに思えることは、きっと貢献に繋がることでしょう。私自身、他の人が打ち立てた大きな成果に刺激を受けたように、私も人々の人生にとって有意義でありたいと願っています。今回の記録も、これから多くのより有能なウィングスーツパイロットが登場して、挑戦し、そして塗り替えられていくことを楽しみにしています。」(カイル・ロブプリエ)

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