芳香・消臭剤の最大ブランド「消臭元」

急な来客が来る――。

馴染んだ住処が急に煩雑に見えてくる。あわてて部屋に散らばった物を片付ける。放ったらかしていた食器洗いを済ませる。目立つホコリは払いとる。トイレや水周りもサッと掃除する。スリッパを出す。これで準備万端、と思いきや、いやまだ何かがおかしい。ふと思いつき、鼻を広げて息を吸ってみる。ああ、これだ。ゴミ箱から洩れた臭いが微かにリビングに充満している。玄関やトイレでも、よく嗅いでみると嫌な臭いが少し漂っている気がする。生ごみ、食べかす、排水、汗、湿気、アンモニア臭……。いくら掃除を念入りにしていても、生活臭は来客時の印象を悪くする”見えない敵”だ。

急な来客時はもちろん、日ごろからケアをしておくために使われるのは消臭剤や芳香剤。インターネットリサーチのDIMSDRIVEによる調査によると、室内用の芳香剤・消臭剤を使用しているのは回答者の4割を超えていて、臭いを意識している人が多い事がうかがえる。ここ10年間でおきた”香りブーム”の後押しもあり、スティックタイプからアロマディフューザーまで、種類はさまざま。香りの系統も年々増え、日常会話でも「ムスク」「ウッド」「フルーティー」などといった香りのワードも飛び交うようになっている。

このような環境で国内外の商品・ブランドが”香り”のシェアの奪い合いをしている中、圧倒的な年間売上でギネス世界記録にまで認定されているブランドがある。小林製薬の「消臭元」だ。1995年に発売されたこの芳香・消臭剤の2016年年間売上は1.23億ドル。2017年11月10日に「液体タイプ 芳香・消臭剤における最大ブランド(最新年間売上)|Largest liquid air freshener brand – retail RSP, current」として世界一となった。そしてこの記録は他社に抜かれる事なく、2019年4月に1.327億ドルに到達した。

大ぶりな容器にカラフルなパッケージング、そして真ん中には太くて長いろ紙……。消臭元は、昨今のオシャレな形状とは違い、存在感を強く感じる商品だ。そんな消臭元がどのように人気商品となり、今なおギネス世界記録を保持し続けているのだろうか?世界一の芳香・消臭剤ブランドの誕生と成長を紐解くべく、消臭元の生みの親・小林一雅会長に話を聞いた。

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卸業からメーカーへ

小林製薬の歴史は、名古屋で始まる。1886年、創業者の小林忠兵衛氏が、名古屋市中区門前町に、「合名会社小林盛大堂」を創業し、化粧品や小物等を扱う小売業を営んだ。当時はコレラや腸チフスといった伝染病が立て続けに広がり、多くの庶民を苦しめていた。人々の生活には薬が必需品であると確信した忠兵衛氏は、薬の卸売業を始める。やがて1912年には大阪に進出。その後、頭痛薬の「ハッキリ」や水虫薬の「タムシチンキ」などの自社商品を発売したものの、ビジネスの9割以上は卸業だった。

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卸業からメーカーへと大きく舵を切ったのは、4代目社長の小林一雅氏(現・代表取締役会長)だ。学生時代から父であり2代目社長の小林三郎氏から「今後はメーカー部門への本格的な進出と強化が不可欠である」と聞いていた一雅氏は、1962年に小林製薬に入社。東京、新宿の店に配属され卸業の修行を積んだが、その経験を通じてメーカーへの転換の重要性を肌身で感じたという。

卸のビジネスというのは、メーカーからモノを買って、それを小売業に売るという事。メーカーの施策のもとに商品ができて、その商品を届けている、いわば商社業者であるため、自力本願で事業を進めることが難しい。このままでは将来の成長が見込めないと感じました。

という事はやはり、父親が言っていた、「メーカー部門への本格的な進出」が必要不可欠であると、確信しました。

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先代の"失敗"を教訓に

小林製薬は、三郎氏の代からメーカーへの転換を試みていたが失敗に終わっていた。しかしそこで得た教訓こそが、現在の小林製薬の特徴の1つとなっている。

(父親の代に)胃腸薬という大きなマーケットに「マリン」という自社商品を発売しましたが、こういう戦い方では失敗するんだなという事を学びました。大きなマーケットには強力なトップブランドがあって、周りには2番手や3番手も溢れています。そのマーケットで戦おうとして4番手や5番手に入っても勝負にならない。いくらガッツがあって、やってやろうと思っても成功は難しいのです。

まだ誰も手がけていない、ニッチなマーケットを狙わないといけないという事を学びました。
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他がやっていないものを世に出す――。この発想をもとに数々のヒット商品を生み出してきた。消臭元もそのヒット商品の1つ。その"生みの親"も、実は他ならぬ4代目社長の一雅氏だった。

一雅氏がろ紙タイプの芳香・消臭剤をやりたいと考えたのは、ヨーロッパ視察での事。パリのスーパーマーケットでろ紙を引き上げるタイプの商品を見つけて「なかなか面白い」と考え、日本に持ち帰りサンプルを社内で発表した。

しかし当時、同社の芳香・消臭剤「サワデー」が好調だったこともあり、社内の反応はすごく冷たいものだった。

ろ紙を引き上げる見た目は決してスマートではなく、「サワデーが良く売れているのにわざわざ作らなくても」「こんなデカイもの、売れないのでは無いか」という声が多かったそうだ。

しかし一雅氏は一歩も譲らなかった。

僕は反対意見に対してこう言いました。「パリジェンヌが、こういう形状の商品をスーパーマーケットで買っているんだ。パリのトイレで使われているのに、なぜ日本で使えないと決めつけるのか」と。

センスが良いと言われるパリの人々が買っているという事は、日本のお客様にも受け入れられる可能性はあると確信していました。ブサイクだから売れないという事は、絶対に無いと思ったんです。

最終的には一雅氏が周囲を説得して、商品開発にこぎつけた消臭元。1995年10月に発売されると、店頭での存在感はもちろん、パワフルで長持ちする消臭剤として話題を呼び、年間売上約10億円の大ヒットとなった。

一雅氏の読みは当たった。

短所までが長所に。競合との戦いを制するために用いた"型破りなマーケティング"

発売される前は多くの社員が冷たい目を向けていた消臭元。しかし4代目社長同様、この商品は売れると確信していた社員がいた。それは発売直後にマーケティング部に異動してきた松下拓也氏(現・執行役員)だった。

1995年10月にマーケティング部に異動してきたのですが、それまでは東京で営業をしていました。最初に消臭元の説明を受けた時は、売り場に置いた時の存在感が違うし、お客さんが手に取った時にずっしりとした重みがあるので、感覚的にすごく売れると思いました。

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マーケティング部に配属されてから約1年後、消臭元のブランドマネージャーとなった松下氏。着任当初は、社内からの電話が引きっ切り無しにかかってきた。

営業からは「商品をもっとよこせ」、製造からは「商品を作るのが追いつきません」と。販売に生産が追いつかない最中だったんですよ。ブランドとしてはすごく評価されていましたが、大変でした。

大ヒット商品となった消臭元。小林製薬は設備投資などを行い増え続ける需要に対応していく中、さらなる成長を遂げる。その1つは1998年の秋に発売された「お部屋の消臭元」だ。初年度売上10億円の大ヒットとなり、翌年の1999年には、消臭元ブランド全体の売上が60億円を突破するターニングポイントとなった。

2000年には競合が動いた。消臭元よりも、一回りサイズの大きい商品が出る、という情報をキャッチした小林製薬は即座に動いた。

消臭元の容量は発売当初350 mLで、今のよりちょっと小ぶりだったんですよ。その後、競合が消臭元より大きい商品を出してくる事を知り、社長(現・代表取締役会長)に会いにいき、「見た目の迫力で負けたくないので、大容量にリニューアルさせて欲しい」と伝えました。すぐ変えようという事になり、即日400 mLにする事に決まりました。

競合品のもう1つの特徴は、引き上げろ紙を使わないという点。よりデザイン性を高める事によってシェアを獲得しようという目論見だった。小林製薬も、引き上げろ紙をやめるか否かの議論を続けたが、やめなかった。消臭元の特徴を活かした、型破りなマーケティングに打って出たのだ。

引き上げろ紙は、ストロングポイントであると同時にデザイン性が弱い原因にもなる。それでも消臭元の特徴はやはり、「見た目は良くないけど効果は抜群に良い」という事。それを打ち出すために、テレビCMで「ブサイクだけど効くわよ!」と、見た目の不格好さに言及しました。ほとんどの社員は、この広告に反対しました。

わざわざ広告でそんな事を言う必要は無いだろうという意見が多かったのですが、社長(現・代表取締役会長)だけは「これ以上に良い言葉はない」と言ってくれました。

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広告を改訂した翌年、消臭元の売上は上がった。次の広告では、"液体の残量が少なくなった時に、容器をシャバシャバ振ると、ろ紙に液が染み込んでまた効き目が復活する"という事を訴求をした。またしても商品のウィークポイントともいえる事をあえて広告にする事で、さらに売上が伸びたのだ。

新しい香りを出す際も"消臭元らしさ"を意識したと松下氏は言う。

ソープの香りの「せっけん」もよく売れました。あえて「ソープ」という名前を使わなかったんです。1,000人に「どの名前が良いですか」と調査しても、ソープと答えるんですよ。でも消臭元らしさにこだわって「せっけん」という名前を使いました。他社でもフローラルソープとか、横文字のコンビネーションだったんですけど、せっけんというのは消臭元らしいなと思います。

ぶれないで、消臭元らしさにこだわる――。これが激しい競合との戦いを耐え抜く鍵だったのだ。

不完全なところも、お客様は愛着として捉えて下さいました。最近は消臭元のように振らなくても、しっかり香る商品もあります。なので今の時代で"シャバシャバ"はそれほど効果が無いかもしれません。けれど当時は愛着として受け入れられました。まずいけど体に良いっていう、良薬口に苦しみたいな発想ですね。「私が使ってるのは消臭元だ」という事を、実感して頂けるのだと思います。

「殻を破って新たな進化を」消臭元のこれから

消臭元の勢いは止まらなかった。2002年には売上70億円、2004年には売上90億円を突破。今や日本で知らない人はいないのではないかと言うほどの、国民的ブランドだ。そして2017年にはギネス世界記録の公式認定証を手にした。

発売から24年、消臭・芳香剤を取り巻く環境の変化は激しさを増している。これからも主力商品として維持させるためには、何をすべきなのか。2019年1月にブランドマネージャーとなった井戸玲子氏は、その大きな問いと向き合っている。

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インタビュー時、彼女は担当になってまだ数か月。消臭元初の女性ブランドマネージャーとして、今までなかったアイデアで、ブランドの拡大に取り組んでいる。

まずは消臭元の現状を把握するべく、過去行ったあらゆる調査データを確認した。結果、初期から根付いている「液が少なくなってきたらシャバシャバ」したり、「ろ紙が吸い上げて液体が減っていくのを見て効果を実感」するロイヤルユーザーは根強く存在する事が分かった。

しかしその一方で7年前、トイレの消臭元のデザインの肝であった引き上げろ紙をキャップで隠すリニューアルが成功した。つまり、発売当初は愛嬌として受け入れられた「ブサイクさ」を払拭することが、お客様には受け入れられたのだ。

このように、生活環境や消費者意識の変化に対応すべき点はまだあると、井戸氏は認識している。

例えばマンションがLDK化し、コンパクトな住宅に住む方が増えました。また、女性の社会進出が進み、家を空けることが多くなってきています。

これに合わせて、生活用品も大きく変化してきました。柔軟剤や洗剤なども、いい香りや消臭機能を備えてきていることもあり、部屋やトイレ空間も昔ほど臭わなかったり、常にキレイに保っている方が増えました。香りの高機能化が進んで、生活者のニーズの深さや質も上がってきていると思うのです。

ユーザーのモノ選びの先入観もよりシビアになっている昨今、ナンバーワンのブランドであるためには差別性や優位性を出す必要があり、井戸氏はさまざまな提案をしていこうと考えている。具体的な事はまだ公表できないと言うが、早いものでは今年の秋……来年に向けても新たな準備を始めているそうだ。

しかし消臭元はロングセラー商品。変えていくには社内を説得していかなければならない。

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多くの人が関わっていて、たくさんの売上がかかっている商品だからこそ、社内も保守的になりがちな部分がたくさんあると感じています。守るべき部分は守りつつ、今までできなかった事を自分の感性で提案して、進化させていきたいな、と考えてます。

もともと意見を率直に言うタイプの人が多い会社で、自分も結構好き勝手な事を言ったりします。でもそれは「根拠があって今のお客様を知っている」という事が大前提です。「今の消臭元のお客様を知っているのは自分が一番」だと思って、これからも進めていきたいです。

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他がやらない事に挑む。反対意見を説得する。商品の弱みをあえてさらけ出して魅力を出す。そして、変化を恐れず挑戦し続ける――。世界一になり、その座を維持するには、この繰り返しが必要不可欠だ。

さらに大事なのは、このストーリーはまだ完結していないという事。インタビューの最後に「これからも世界一のブランドでい続けられるよう、がんばってまいります」と、井戸氏は意気込んだ。消臭元のさらなる進化を期待させる、力強い一言だった。