「鉄の肺」で70年生き続けた男性 ポール・アレキサンダーさん

1952年の夏、ポリオがテキサス州を襲いました。
はじめに閉鎖されたのは映画館とプール。その後はバーも。身を守るために、他の人と近づかないようにと周知されました。
感染者数は瞬く間にアメリカ全土で上昇。ワクチンはまだ開発中。医療機関は増え続ける患者に対応しきれない状態でした。病院の廊下にはポリオにかかった多くの人々があふれ返り、その多くは5歳以下の子どもでした。
当時は6歳だったポール・アレクサンダーさんも、このエピデミックの波に飲み込まれた一人です。その後の人生を、鉄の肺の中で過ごすことになるとは、まだ想像できなかったでしょう。
ダラス郊外の静かな住宅街に住んでいたポールさん。テキサス州ではまれな雨の日に、彼は兄と外で遊んでいました。
泥だらけになって家に帰ってきた彼らは、母に言われ食卓につきます。キッチンに入り、後ろの扉を閉めたとき、ポールさんは熱で顔が温まっているのを感じました。そして首の痛み、倦怠感、筋肉痛があることも。その瞬間、自身が何らかの病気にかかっていることに気付いたのです。
その変化に、ポールさんの母も気付きました。
「お母さんの顔を見たとき、彼女も病気に気付いたんです。どうやって気付いたのかは分かりません」
ポリオの初期症状は風邪のようなものだったそうですが、それは急激に悪化しました。ポールさんはペンも持てないほどの深刻な症状に見舞われました。しかし混雑する病院には行くべきではないと言われました。
数日はベッドで横になっていましたが、状況は悪化するばかり。ようやくパークランド病院に診察を受けます。呼吸も飲み込むのも困難だったポールさん。医師は「生き延びることはできない」と言いました。
「動けなくて、しゃべることもできなかったと思います。だから他の、望みのなくなった子どもたちと一緒に、長い廊下に置かれました。その身体のほとんどには、命は宿っていませんでした」と、ポールさんはHealthDayの取材に答えました。
他の医師が気管切開を行い、ポールさんは命をとりとめました。それから3日後、ポールさんは久々に目を覚ましました。
急性期を生き延びたポールさん。気付いたら彼の身体は機械に囲まれていました。彼がいたのは鉄の肺の病棟。多くの子どもたちが、命綱にすがるかのように、体を巨大な鉄の塊の中に潜めていたのです。
中には泣いている子どももいたのを覚えているポールさん。でも自身は気管切開を行ったので声は出せません。そして誰一人動くことはできませんでした。
見渡す限り、子どもたちが入った鉄の肺ばかりでした。 – ポール・アレクサンダー(ガーディアン紙)
鉄の肺とは、陰圧になったタンク内に身体を入れることにより、胸郭が広げられて、呼吸ができるようになる「人工呼吸器」です。1920年代にオーストラリアのジェームス・キャレル氏が開発し、ポリオ患者の最後の望みとなりました。
動くことができないポールさんは、鉄の肺に付属された鏡や、スピーカフォンを使用してコミュニケーションをとります。
それから続いた入院生活……。月日が経つにつれ、まわりにいた患者たちは次々と命を落としていきました。
何とか退院できたポールさんは、1954年、アメリカのNPO団体の協力を得て、新たな呼吸法を学びます。1年ほどかけて習得した呼吸法のおかげで、鉄の肺から出てくることを可能としました。3分間、自分で呼吸できたご褒美に、犬を家に迎え入れることができたポールさん。彼の回想録のタイトルも『犬のために3分間』と名付けられました。
しかし彼が習得した呼吸法は、本人が意識して行わなければいけないので、寝るときは鉄の肺に戻ります。
ポールさんは、登校せず自宅で学業に励むプログラムを利用し、無事21歳で高校を卒業。鉄の肺を捨て去ることはできませんでしたが、家を出て学業を続けることができました。
テキサス大学に入学し、オースティンに移動したポールさん。法律にまつわる2つの学位を得た後、司法試験を合格し、弁護士として活動を始めました。依頼人の弁護は、車いすから行いました。
パークランド病院での苦しい闘病生活から、ポールさんは力強く生き続けました。その支えになったのは両親の存在だったと言います。
「彼らは私を愛していました」と、ポールさんはスター・トリビューンのインタビューでそう語りました。「彼らは私に、何でもできるんだ、と言いました。そして私はその言葉を信じたのです」
2023年3月現在、ポール・アレクサンダーさんは77歳で「最も長期にわたる鉄の肺の患者|longest iron lung patient」の記録保持者です。現在は1日のほとんどを、鉄の肺の中で過ごしています。
ポリオのリスクや、その恐ろしい結末について、今なお周知を続けています。そしてCOVID-19のパンデミックが起きると、彼を含めた高リスクの人々への危険について声を上げました。
2020年には前述の回想録『犬のために3分間』を自費出版しました。
1916年、アメリカにポリオが初めて勃発してから、1950年代にワクチンができるまで、危険な状況が続きました。そして世界中でワクチンが接種されることにより、感染者数が減り、それとともに鉄の肺も減っていきました。
アメリカではポリオがほぼ撲滅された状態になったものの、いまだ流行リスクにさらされている国もあります。
WHO(世界保健機関)によると、2021には、1988年の350,000件(推定値)から99%減少し、6件の発症が報告されているものの、アフガニスタンおよびパキスタンで野生型のポリオウイルスが伝染していると言います。
ポールさんの鉄の肺は、ただの時代遅れの装置ではありません。これはポールさんの強い意思の象徴なのです。
私は人生において、あなたと同じ経験を積んできました。そしてときにはあなた以上に。私はいち人間、ポール・アレクサンダーなのですから。