ウルトラマラソンの仲田光穂選手にギネス世界記録公式認定証を贈呈しました!

ウルトラマラソン選手の仲田光穂さんが、第14回IAU 24時間走世界選手権において、270.363 kmの距離を走破し、世界記録を達成しました。この距離はフルマラソン6回分を上回る距離です。
この記録は過去20年のあいだに何度か更新されてきました。2002年にはEdit Berces選手が155.4 kmを記録、その後は工藤真実選手やパトリシア・ベレズノウスカ選手(ポーランド)、 カミーユ・ヘロン選手(アメリカ)などが更新してきました。
ギネスワールドレコーズは今回の記録更新を受け、仲田選手にギネス世界記録の公式認定証を授与しました。
今や日本代表として活躍する仲田選手。しかし本人は、スポーツ選手になるとは思っていなかったと言います。
「小学校から中学校まではバスケットボールで、陸上部に入っていたのは高校のときだけでした。大学で陸上部に所属していたのも、最初の2か月だけでした。正直、走り続けるとも思ってなかったし、記録を残す人になるとも思っていなかったです」
そんな仲田選手が初めて200 kmのウルトラマラソンに出場したのは2021年のこと。当時は新型コロナウイルスの影響で、多くのメジャーな大会が軒並み開催中止になっていたときでした。
「小さい規模の団体が、”大会がなく、ランナーたちの頑張る気持ちが落ちてしまうなか、大会を運営しよう”ということで、小規模な200 kmの大会を開催してくれて、それに出たのがきっかけでした」
ウルトラマラソンを始めたころは、途中で何度も歩かざるを得ないほど辛い体験だったそう。しかし練習を重ねると、時間を大きく縮めることができたと言います。自分を超えていく感覚にはまって、ウルトラマラソンにのめり込んでいったのです。
現在は千葉県船橋市職員である仲田選手。朝が苦手という仲田選手は、仕事の後に練習をしています。しかし仲田選手の月間走行距離は600~650 km程度。この距離を達成するために、週末にまとめて50 km程度走っているそうです。
記録を更新した当日、仲田選手のコンディションはあまりよくなかったそうです。
「割と海外遠征前に"何かやらかす"タイプで、胃腸炎になったりするんです。さらに今回は、大会の1週間前につくばマラソンの応援で派手に転んでしまいました」
しかし自己ベストやセカンドベストは海外でしか出したことがなかったそうで、体の調子はそこまで良くなくても、上向きな気分で挑めたそうです。
序盤は優勝候補に入っている選手陣についていき、落ち着いて走っていました。しかし2、3時間経過すると、前を走っていた選手との歩幅が合わないこともあり、先頭に出ることに。
「その後は、調子がいい感じはしたんですけど、飛ばしすぎて終盤に歩いてしまうというのが直近の24時間レースのパターンになっていました。今日こそは歩かずに行きたいなと思い、抑え気味に走りました」
レース残り4、5時間で、2位との差は14 kmほど。仲田選手は、他の選手に追いつかれない程度のペースで走り続けました。そのころ、監督やスタッフは世界記録の更新可能性を議論していたそう。
仲田選手自身が、記録更新の可能性に気付いたのは、レースのラスト10~20分でした。
「監督が"これ1周とテントの先まで行けば世界記録だ"と言われて、ことの重大さに気付きました。そこから全部出して、ギリギリ200 mくらいですが、更新することができました」
帰国後はすぐ職場に戻ったこともあり、世界記録更新の実感はそれほどなかったと言う仲田選手。しかしときが経つにつれ、世界一を自覚するようになったそうです。
ギネス世界記録の公式認定証を受け取るのも、予期せぬことだったと言います。
「まさかギネス世界記録をもらえると思ってなかったので、すごくびっくりしたし、めちゃくちゃ嬉しかったです」
ギネス世界記録に挑戦する人たちへのアドバイスを仲田選手に問うたら、秘訣は「嫌いにならないこと」だと教えてくれました。
「好きで続けていたらこうなったという側面があるので、まず嫌いなことをやらないこと。私は嫌いなことはしてこなかったし、練習でも自分がこれ嫌だなって思ったら、それをしないような練習を考えたりとかしてきました。好きでいることと諦めずに続けていることが、そういった記録に繋がるのかなって、自分が記録をとってみて感じました」