空への視線
ペギー・アネット・ウィットソンは1960年2月9日にアメリカ、アイオワ州マウント・エアーで生まれた。両親は農業を営んでいた。1969年7月20日、ペギーは両親の跡を継ぐことを考えていたが、それを断念した。その夜、ペギーは世界中の何百万人ものテレビ視聴者とともに、ニール・アームストロングとバズ・オルドリン(ともにアメリカ)が「人類初の月面着陸 | first people on the Moon」を果たしたのを見ていたのだ。まだ9歳だったペギーは、実際に宇宙飛行士として働いて生計を立てている人たちがいるという考えに魅了された。
ペギーが高校を卒業した1978年1月には、NASAで初の女性宇宙飛行士の訓練が開始され、その中には記録達成者であるキャサリン・サリバン博士も含まれていた。ペギーにとっては、宇宙飛行が男性だけのものではなくなったことを実感できる嬉しい出来事だった。6人の女性の中には、5年後にアメリカ人女性として初めて宇宙飛行をすることになるサリー・ライドも選ばれていた。
少なくともこの点では、宇宙開発競争におけるアメリカの偉大なライバルは、文字通り数十年先を行っていた。その20年前の1963年6月16日、ソ連の宇宙飛行士ワレンチナ・ウラディミロヴナ・テレシコワ(ソ連)が、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から「ボストーク6号」で打ち上げられ、「女性初の宇宙飛行士|first woman in space」となった。
1978年にNASAの女性宇宙飛行士第1期生が採用された。(左から)シャノン・ルシッド、マーガレット・セドン、キャサリン・サリバン、ジュディス・レズニック、アンナ・フィッシャー、サリー・ライド